表現の自由空間を護ろう

政府は2020/03/10、全著作物を対象に、インターネット上に無断で公開されたと知りながらダウンロードする行為を違法とする著作権法改正案を閣議決定した。現行法は音楽や映像などに限っているが、漫画や雑誌、論文なども対象とし、悪質な場合は刑事罰を科すという。施行日は2021/01/01とし、この国会での成立を目指している。ところが、この著作権法改正は、鷹野凌氏(HON.jp News Blog 編集長)などが「基本これは合法だけど、そのうちこの場合だけ違法、だけど、他の条件に合致すれば合法」と指摘しているように、条件分岐が複雑で専門家も説明ができないものとなっている(改正の経緯や内容については記事参照)。

具体的に改正の主目的である「リーチサイトの違法化」の弊害を例に示す。個人的にサイト運営をしていて、最もやっかいな問題がリンク切れによるエビデンスの消失である。ブログ運営のような言論活動は、放送局や新聞社のような業者サイトの記事や映像にリンクを貼って、事実あるいは著作者の言論を具体的に指定・参照して個人的な言論を深堀りしていく。ところが業者サイトの情報がある日突然に非公開になったり、意図的に削除されたりしてリンクが辿れなくなる。業者の都合によって時間をかけて構築してきたブログの言論は無に帰してしまうのである。

これを防ぐ手段は、指定・参照の情報を事前に(通常は個人のパソコンにダウンロード)ストックしておいて、必要な部分だけをストレージサイトにアップしてリンクするしかない。ところが、リーチサイトの違法・刑罰化が行なわれると、この行為がリンク提供に該当してしまう可能性が高く、リンク切れ防止の手法が使えなくなってしまう。個人が表現の自由を駆使して、思考を深化する機会やインセンティブが消失してしまう。

著作権法改正は表現の自由を侵しており違憲

ネットにおける個人の活動は原則として自由であるべきである。これまで著作権法や不正アクセス禁止法などの強行法規を中心とした修正部分にばかり目を向けてきた(詳しくは「ネット個人取引の心得」参照)。しかし、このような自由の制約は本来、必要最低限度に止められるべきものである。最も尊重されるべきは、憲法や民法の根底に流れる基本原則であり、国を問わず認められる基本権である。実際に米国では、ネットやCATVでの表現内容を制約する法律が定められたが、憲法違反との判決が示されている(例えば、“わいせつ番組規制は違憲”、“インターネット上の自由”)。

憲法の思想・表現の自由の原則からすれば、ネットを思想の自由の範疇で活用している限り絶対的な自由が保障される。個人がネットの利用を表現の自由の範疇にまで展開すれば、他人の基本権を侵害しない限りにおいて自らの自由は保障される。さらに、ネット上の表現の自由が他人の基本権に抵触する場合、例えばネット上の表現が他人の名誉毀損になる可能性がある場合には、対抗言論により名誉の回復が可能な場合には、表現の自由と基本権とは比較衡量の対象となる。

ネットにおける個人の自由度を分かつ区分

コミュニケーションやコンテンツ交換などを含む広い意味でのネット個人取引では、何らかの形で相手と接触はあっても、表現の自由空間の範疇で最大限の権利保障が認められる。ここでは、法的措置による国家の介入から開放された、表現の自由空間というべきネット社会が創造可能であると考える。

実社会との相互依存関係が前提であるネット取引については、実社会と共通の原則が適用されるのが必然であり、民法の根本原理である所有権絶対の原則、私的自治の原則、憲法の財産権(憲法29条)、営業の自由(憲法23条1項)が妥当する。これは、ネット取引が実社会と接点を持ち、結果として両者が整合していく方向に展開する必要性からの帰結である。

ビジネス社会が、商取引の道具としてネットを活用する時には、これまでの商取引に関わる規制がネット個人取引において延長されることが許される(「ネット個人取引の心得」第3章で記述してきた強行法規の存在の理由である)。

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